妙遠寺
妙遠寺
参拝寺社:妙遠寺
宗派:日蓮宗
一般成人の参観料:無料
参拝年月日:令和元(2019)年5月3日
グーグルマップで、近くに寺社は無いかと探し歩いていた所、或る1つのお寺に辿り着きました。そのお寺とは、妙遠寺です。
墓地らしき所に行ってみると、日蓮上人のお像が在りました。下には、「立正安国」の文字が。これは、元寇前後に日蓮上人が記した「立正安国論」でも知られる言葉ですね。
日蓮上人は鎌倉時代の安房国、今で言えば千葉県鴨川市で生まれました。法華経のみを尊び、他の経典を信じる宗派を攻撃しました。それ故に、執権に因って流罪にされたり、処刑されかけたりしました。総本山は山梨県南巨摩郡身延町の久遠寺で、同県や、生まれた千葉県、処刑されかけた舞台である神奈川県、亡くなった東京都に多くの日蓮宗古刹が在るそうです。
江戸時代の川崎宿時代、小泉次大夫が現在の東京都と神奈川県に跨る地域で治水を為しました。彼はこの附近の廃寺を妙泉寺と名付け再興します。後に、2代将軍秀忠が安房国、今の千葉県安房郡鋸南町から日蓮宗の日純を招聘し、妙遠寺と名を変えます。後に2度移転し、今の位置に移る事と成ります。調べてみますに、ここは日蓮宗内の富士門流系興統法縁会に属するそうです。
我が郷里名古屋には、戦国時代に多くの武将を生み出しましたが、加藤清正はその有名な一人です。清正公は母親の影響から幼い頃から日蓮宗に帰依し、戦場でもお題目「南無妙法蓮華経」を唱えて戦っていました。清正像が在るとの表示を見て、庫裏近くにいらっしゃったご住職に訊いてみた所、そこまで案内して頂けました。写真がそれを安置している様子ですが、窓に自分が移りこんで、奥の写真は撮れませんでした。特別な力が働いているのかも知れませんね。
清正公についてお尋ねした後、御朱印を頂けるか恐る恐る訊いてみました。と云うのも、日蓮宗は他の寺社の御朱印が書かれている御朱印帳には、御朱印の授与を拒否する事も有るからです。ここのお寺ではその様な事は気にせず授与するとの事で、庫裏の方へご案内頂きました。住職さんが書いて下さったのですが、その前のページを見て、「色々回っているのですね」と褒めて下さいました。日蓮宗はそもそもの成立が排他的であり、その色を強めた日蓮正宗の様な分派も有りますので、こう言って頂けるのは珍しいのではと思いました。
南無妙法蓮華経はご題目・御首題と呼ばれますが、御朱印形式で頂ける物は御首題と呼ばれる事が専らです。御首題は他の宗派の御朱印とは目的が違い、信仰の証と為す所も多い様ですが、参拝記念の向きも有る様ですね。御朱印と御首題を区別するお寺さんも多く、その際には「御首題帳」には「南無妙法蓮華経」と記し、「御朱印帳」には「妙法」や「(ご本尊の名前)」を記す所も見られます。その件については、また後日お話しします。
それでは、またお会いしましょう!
一行寺
一行寺
参拝寺社:一行寺
宗派:浄土宗
リンク:http://iitera.net/temple/ichigouji/jiin.html
一般成人の参観料:無料
参拝年月日:平成31(2019)年5月3日
友人と落ち合う予定まで、30分有りました。そこで、最後に回るお寺として、川崎駅前の一行寺を選びました。
ここは閻魔様で有名だそうで、他の方のブログを見ても話題にされているのを見かけます。またこのお寺は浄土宗に属しており、かく言う私も名古屋の浄土宗男子校(これで特定出来ます)の出身なので、親しみが湧くのでありました。
お伺いした所、ご住職が対応出来ないとの事でありました。友人との約束も有りますから、2時間程後に再訪するとお伝えして、一旦門を出ました。
これは一見するとただの夫婦像ですが、私は左側に小さく書かれた文字に注目します。これは「月影」と云う歌で、浄土宗を開いた法然上人の書かれた歌です。我が母校では、この旋律がチャイムに使われていた為、一般的によく使われるものを聞くと、違和感を覚えてしまうのです。
友人と食事を摂り、カラオケで歌った(2人共アニソン中心)後、お寺に戻りました。ご住職は葬儀の相談をされているとの事で、対応に当たられた女性の方と、御朱印帳を後日郵送するとの話がつきかけた所で、御葬儀のお話の方が纏ったとかで、ご住職がいらっしゃいました。その時は時間が空いているとの事で、御朱印についてはその場で頂く事に成りました。
中高時代の友人と一緒にお寺に行った事で、自然と話題は我が母校についてと成りましたが、何と、ご住職は東京都港区の、我が姉妹校のご出身だったのです!(お互い男子校なのに姉妹校とのネタも有りますね。)こちらに来てからその学校の出身者を見かけた事も有りましたが、本当に僧侶に成る方も居ると云う事知って、感動しました。
閻魔様については、このお寺に因る江戸時代の善悪の教育の中で扱われる様に成ったとの事です。それで御朱印にも「おえんまさま」との文字が入っています。この御朱印も、丁寧な字で、バランスの取れた書き方でありまして、大変美しいです。
これにて、川崎小旅行は終わりと成ります。お付き合い下さり有り難う御座いました。次は、横浜からお届けします!
それでは、またお会いしましょう!
円能院
円能院
参拝寺社:円能院
宗派:真言宗智山派
一般成人の参観料:無料
参拝年月日:令和元(2019)年5月3日
京都へ旅行し、名古屋へ帰郷し、今度は現住所の横浜へ帰宅。ゴールデンウィークの後半はこちらで過ごす事に成りました。そんな折、大田に住む友人から、「川崎で会おう」との連絡が来ます。丁度2人の家の中間点ですし、喜んで予定に組み込みます。会うのは昼との事なので、朝は周辺の散策をする事にしました。そこで、第一候補と成ったのはかの有名な川崎大師です。しかし、そこから徒歩で色々お参りしていると、友人との約束に間に合うのか疑問に成りました。そこで白羽の矢が立ったのが、「小田栄駅附近」です。小田栄は平成28(2016年)に設置された、JR南武線の新駅です。
そこから歩いて数分の所に、隣り合わせで円能院と日枝大神社が在ります。駅を出て、まず私は日枝大神社に向かいますが、その時は社務所が閉まっていたので、一旦円能院へと向かいます。
円能院さんの門が開いていたので、取り敢えず入ってみる私。御朱印を取り扱っているとの情報も有りましたが、如何せん小さな寺社で頂くのは初めての事。恐る恐る、境内を掃除している女性と思しき方に声をかけてみました。御朱印について尋ねてみると、事務所(庫裏と呼べば良いのかな?)の方に案内されて、受付の女性の方に対応して頂きました。
御朱印の準備をするとの事で、私も上へ上げて頂き、お茶をご馳走に成りました。朝早かったのですが、そこから5分程で御朱印が頂けました。
ここは真言宗智山派のお寺です。日本真言宗は、かの有名な空海に因って開かれました。本派は教義の対立から成立した新義真言宗に属し、京都市東山区の智積院を総本山としています。
本寺院は平安時代初期の開創で、その事は「新篇武蔵風土記稿」に日枝大神社と共に記されています。明治時代に至るまでは、別当として日枝大神社の管理もしていましたが、神仏分離により大神社は独立しました。
ご本尊の大日如来を示した御朱印です。私が関東地方で頂いた、初めての御朱印と成ります。同行二人とは、「弘法大師空海と共に」との意味らしく、四国のお遍路でよく見かける言葉です。ここに来てやっと気が附いたのですが、御朱印についてお宮さんのものは左側に、お寺さんのものは右側に年月日が記されています。江戸時代まではお坊さんがお宮さんの御朱印も書いていた様なので、書く時の気持ちを区別していたのでしょうか。
それでは、またお会いしましょう!
朱 御印の御朱印帳
朱 御印の御朱印帳
初めまして。御朱印集めをしております、朱 御印と申します。本職はマーチで東洋史(私の専門は中国)を専攻する大学生です。
何故、私がこのブログで御朱印について掲載しようと思ったかと言うと、単純にオンライン上に備忘録を残しておきたかったからです。twitterでも載せてはいますが、ブログ形式の方が、後で確認する時に易いとも思い、noteのサイト(※原文)に行き着きました。
私は自家用車を持たず、自転車も不得意な身。御朱印帳を片手(正確には肩掛け鞄の中)に、徒歩で各地(定期券内の駅からの徒歩圏内を中心に)を巡っております。オンライン上では、所謂有名所についての情報が挙げられていますが、私朱は電話と云う文明の利器をポケットに、多くの「マイナーな寺社」を巡っております。貴方のお家の近くにも、御朱印の授与を行なっているお寺さんやお宮さんが有るかも。私はその情報を整理して参りたく思っています。
文を書くのは余り得意でなく、このサイトもまだ使い慣れませんが、お付き合い頂ければ幸いです。
令和元年5月令日 朱 御印
(以後、使い始めた順に、御朱印帳を載せて行きます。)
(基本的にはnoteの方で載せたものをそのまま転載します。)